「俳句のツボ」とは

そのものずばり、「俳句のツボ」という本を読んだ。

俳句のツボ

俳句のツボ

俳人の八木健氏を「師匠」として、新聞記者が俳句を学んでいく過程を記した連載記事をまとめたものである。タイトルに言うだけあって、作句におけるポイントがいくつも述べられている。特に、
 (1)説明的な表現をしない
 (2)作者の思い込みを排除する
 (3)主観を強調する
という点に重点が置かれているように思えた。たしかに、そういった点を踏まえて今までの自分の句を読み返してみると、反省すべき部分が多い。当たり前だが、まだまだ勉強が足りないな、と思う次第である。
ただ、そんな私でも読んでいて「んー?」と思うところもいくつかあった。「師匠」の八木氏が様々な句を添削していく過程が書かれているのが本著の醍醐味のひとつであるのだが、その添削結果に疑問を感じてしまうことが少なからずあったのだ。破調が過ぎる、倒置表現が目立つ、下五が「〜の」「〜は」で終わるのは据わりが悪い、といった辺り。特に下五については、あまりの落ち着きの無さに読んでいて身悶えしてしまうことさえあった。まあ、これが八木氏の作風であって、それに私がまだ馴染めないというだけなのだろうけど、何というかこう、俳句ってのは好き嫌いがはっきり出るもんなんだなぁ、と改めて思ったりもした。
あと、巻頭で八木氏は「そもそも俳句とは『こっけい』なものである」という考えに基づいて「可笑しい」「気楽」な作品も取り上げた、といった趣旨のことを述べているのだが、あまり「気楽」なのも自分には合わないかな、と少し思っている。いつぞやも書いたが、私にとっては十七音に言葉を削って削って押し込んでいく「ショートコーディング」の過程が面白いんであって、それを気楽に崩してしまっては、何というか緊張感がないというか。滑稽は大事だとも思うが、やはりある種の緊張感はどこかに必要なのではないだろうか、と思ってしまう。
その点、はてなハイクはまさに「滑稽」「即興」の世界なのだろう。私がはてなハイクを気にしながら今ひとつ馴染めないでいるのは、そこに緊張感がないから、なのかもしれない。
と、思いがけず話が繋がったところで、今日はこれまで。