煮詰まっている

気がつけば10日ぶりの更新。平日は書いてる暇がない上に、気がつけばなぜか句を練っている。歳時記と句帳代わりのAdvanced/W-ZERO3[es]を持って、ああでもないこうでもない、と考えているうちに深夜になってタイムオーバー。はたしていいことなのか悪いことなのか。
今のところ、まだ独学。水原秋桜子の「注意六条 禁止八条」を遵守しようと何とか工夫しているのだが、なかなかうまくいかない。気がつくといつの間にかひとりよがりになったり感情が出過ぎてしまったりする。省略もまだまだ試行錯誤。でも、一番難しいのは「詩因を捉える」こと。自分が体験したことから詩にしたいと思う原因をはっきりさせる。これがまだできない。いや、できなくはないが、かなり下手で時間もかかる。失敗すると「見たまんま」で余韻も何もない平板な句になってしまったり、逆にやたらと感情の入った日記のような句になってしまったりする。当然、分量も配合もわやくちゃ。実に難しい。
最初に作った句から枝刈りをするように余分な要素を削って削って、ようやくそれらしくなるのだが……はたして、それすらもどれくらいの出来なのか見当もつかない。やはり、誰かに指導を乞うべきか。

自分が作りたい句の形

いろいろ句を作ってみて、自分が作りたい句がどういうものなのか、何となくわかってきた。
ひとつは、日常で感じたことを詠んだ句。平易な表現で、抑制はきかせるけど一読して「ああ、その気持ちはわかる」と共感してもらえるような、気持ちを伝える句。ひとつ間違うと川柳になってしまうので危なっかしいが、そういうのが好きなのだ。一茶ほど私小説的にはしたくないが、あれに近い感覚でバランスを取ってみたい。
もうひとつは、もう一段階深い心情をにじませる、切れ味のある句。丁寧に削ってとことん尖らせた鉛筆のような、鋭さのある句を詠んでみたい。ただ、あまり表現を飛躍させたりはしたくない。個人的に、一読して訳がわからない句はあまり好きではないから(鑑賞力の低さの裏返し?)。読んだ人に、ストレートにインパクトを与えるような句を目指してみたい。

とはいえ、まだ駆け出し

何しろ、句を作り始めてまだ1ヶ月もたっていない。遠くを目指すより、まず基本を学ぶのが先だろう。
とりあえず、今読んでる本はこれ。

俳句 作る楽しむ発表する

俳句 作る楽しむ発表する

基礎的な知識について詳しく教えてくれる上に、例句にひとつひとつ解説がついているのがありがたい。鑑賞力の勉強にもなる。

今、ふと思った

自分が何かを見て何かを感じたのなら、見たものをそのまま描くことで、感じたものを伝えることができると考えていいのだろうか。でもそれは「見たまんま」になりはしないのか。ああ、それは結局「それを感じた原因となるものは何か」を突き詰めることなんだな。それが「詩因を捉える」ということなんだろう。うーん、まだまだ難しい……。