酔いにまかせて

今、「真澄」のしぼりたて生原酒を飲んでいる。濃厚でいて飲み口は柔らかく、軟玉のようにするりとした喉越しだ。実にうまい。
この酒の勢いを借りて、「真澄」にまつわる思い出話をしよう。
知る人はあまりいないのだが、秋葉原には「真澄」専門の居酒屋がある。とても小さな酒場で、20人入れるかどうかというくらいの店だ。その店に、一時期友人と一緒に通い詰めたことがあった。
初めに行ったきっかけは、今となってはあまり覚えていない。友人と私がアキバ好きで、須藤真澄のファンだったから、という辺りだっただろうか。
そこの常連さんはけっこうお歳を召した方ばかりで、当時30代前半の我々はともすれば完全に浮いてしまいそうな存在だった。だが、友人の類い希なる社交性と、とある一人のお父さんのおかげで、我々はその輪の中に加わることができた。
そのお父さんはとても気のいい人で、一見だった我々にも優しく楽しげに接してくれた。人なつっこい、というのだろうか。だが、酔漢にありがちなベタな迫り方ではなく、嫌味のない、人としての年輪を感じさせる距離感で我々に対してくれた。そのお父さんは酒場でも人気者で、お父さんのペースに巻き込まれるようにして、我々はその酒場の常連として認めてもらうことができた。
あの頃は、とても楽しかった。お店はとても家庭的な雰囲気で、居心地のいいところだった。もちろん、行くたびごとにあのお父さんがいて、我々を暖かく迎えてくれた。


その後、私も友人も少し忙しくなって、しばらく店に行くことができなくなった。
半年くらいたってからだろうか、久しぶりに行ってみようかということで、また店を訪れたときのことだった。あの人なつっこいお父さんがいない。どうしたのだろうと店のおかみさんに尋ねてみた。
お父さんは、亡くなっていた。
我々がいない間に、あっという間に。死因が何だったのか、今となっては思い出せない。だが、そんなことはどうでもよかった。あのお父さんがいなくなってしまった。それだけで、充分すぎる衝撃だった。
いたたまれない気分になって、我々は早々に店を出た。そして、近くの公園のベンチで二人、肩を寄せ合って泣いた。
「どうして、あんないい人が死んじゃうの……!」
ちょうど今時分の、寒い冬の夜だった。


それ以降、あの店からは足が遠のいてしまった。友人も私もいろいろあって会う機会が少なくなってしまったせいもあるが、やはり、あのお父さんがいなくなってしまったことが大きかった。
あの頃の楽しかった雰囲気は、もう二度と戻らないのかもしれない。でも、あの酒場での思い出は、決して消えることはない。きっと、「真澄」を飲むたびに、私は思い出すだろう。友人との絆と、お父さんの人なつっこい笑顔を。

喪いし真澄に酔うて夜半の冬   独楽