読売俳壇の森澄雄氏の選評について

こんなえらそうなこと、初心者の自分が言うことではないのかもしれないが、どうにも腹に据えかねるので書いてしまうことにする。
ここ最近の読売俳壇における森澄雄氏の選評が、あまりに安直なのである。その内容の薄っぺらいことときたら、手抜きといってもいいくらいだ。
例を挙げよう。今週の俳壇、つまり2007年12月11日の読売新聞朝刊から引用する。

二十四の瞳の分校草紅葉    大野城市 阿部 正志

この句に対しての選評はこうである。全文引用させてもらう。

香川県小豆島は瀬戸内海で淡路島に次いで大きな島。昭和二十九年、壺井栄の「二十四の瞳」が映画化されて脚光を浴びた。その分校が美しく草紅葉している。

「その分校が美しく草紅葉している」って、それは句の字面をそのままなぞっただけではないか。こんな評でいいのなら、観光ガイドさえあれば私でも書ける。
たまたま、この句に対してのみこういう評がついたというのならまだ我慢するとしても、少なくともここ1ヶ月の間、森氏の選評はずっとこんな調子である。句に詠まれた地名や名勝、歴史についての蘊蓄をひとくさり述べて、あとは句の字面をなぞった感想がひと言だけ。こんな評をもらったって、ちっともうれしくないと思うのは私だけだろうか。
森氏は風景を素描した句がお好みと見えて、選に入った他の句も地名や名勝を詠んだ句がほとんどである。写生句という点では何ら問題はないので選自体に文句をつけるつもりは毛頭ないが、それにしてももう少し情のこもった選評がつけられないものだろうか。それとも、私が物知らずなだけで、写生句に対する評とは得てしてこういうものなのだろうか。
読売俳壇は毎週楽しみにしているのだが、森氏の選評を見るとすっかり気持ちが萎えてしまう。その萎えた気持ちを正木ゆう子選を読んで復活させて(笑)どうにかバランスを保っているという具合である。
どうにも納得しかねるのだが、とりあえず、俳句に対する好みや評価は人によって大きく違うこともあるのだなぁ、と思っておくことにしよう。
「初心者が的はずれなことを言っている」とお思いになったら、ぜひコメントでご指摘頂きたい。