自分をもっと深く掘れ

というタイトルの本がどこかにあったような気がするが、まあそれはさておき。
最近思うのは、「何かに感動することがあっても、その正体が何であるかを見つけ出すのはものすごく難しい」ということ。
例えば、「ああ、綺麗だな」と感じた時に、それが対象のどういう部分に対して、どのように「綺麗だ」と感じたのか。自分の精神の奥深くからその正体を発掘する作業は、実に難しい。ほとんど、いや完全に自己心理分析の世界である。
だが、それができなくては俳句は作れない。この分析を完了させなければ、単に見たまんま思ったまんまの句になってしまって、具象に主観を託すという俳句の基本に到達することはできない、と最近思うようになった。
そう思い始めると、今までのように簡単に句をひねることができなくなる。ちょっとした感動でも、発掘できるほどの深みがなければ、そこでやめてしまう。あるいは、感動から正体を発掘しようと自己分析を始めると、えらく時間がかかってしまってこれまた簡単に句にできなくなる。句を作ることに、妙に慎重になっている今日この頃である。
おそらくこの自己分析は、習得すればできるようになる類のものなのだろう。例えるなら、自転車に乗るようなものか。コツをつかんでできるようになってしまえば容易なのだけど、体得するまでが非常にしんどい。そういう技術なのだと思う。初心を抜け出すには、まずこの技術を身につけなければならないのだろう。


ううむ、何だかうまくまとまらない。この辺りの話はまたいずれ。ああ、早く寝なければ。