俳句脳

「三日はや」などと言うが、今日はもう仕事始めである。今回の年末年始は実家にも帰らずにのんびり過ごしていたのだが、終わってしまえばあっという間の6日間だった。
今年は4日が金曜なので、この日に有休をとって正月休みを3日伸ばす人も多い。なので、明日はあまり仕事にならないんではなかろうかと考えている。早々に定時で退散することにしよう。(4日追記:結局1時間残業する羽目になった。)


この休みの間、少し腰を据えて俳句の勉強をしようと思ってたりもしたのだが、結局食っちゃ寝食っちゃ寝の寝正月に終わってしまった。もったいないことをしたような気がする。ただ、その一方で「これ以上俳句に深入りしない方がいいんじゃないか」と思っている自分もどこかにいたりして、これがなかなかややこしい。
俳句はたしかに面白い。それは間違いない。だが、深入りすると、他のことが手につかなくなりそうで、怖い。頭が「俳句脳」になってしまって、俳句的感性以外に物を考えることができなくなってしまうのではないかという不安感があるのだ。
まあ、そこまで俳句に没入できれば大したものなのだろうが、何となくその手前で躊躇してしまっている。要するに覚悟のない宙ぶらりん状態なのである。mixiのコミュでそれらしく句を披露したりしているのも、「俳句脳」化への圧力をガス抜きしているに過ぎない。適当な句を詠むことで、逆に俳句から逃げているのだ。
富士山の麓に立って、この山を登ろうかどうしようかと迷っているような状態、とでも言えばいいだろうか。その険しい道のりに踏み出す覚悟を決めかねている。
俳句に対する興味が一時的なもので終わるのか、それとも巨大な山へ登る一歩を踏み出すことができるのか。今年は自分にとってひとつの分水嶺になるのかもしれない。