現俳協の句会に行ってきた

気がつけば、1週間以上も更新が停まっていた。仕事があまりに忙しくて、こちらまでとても手が回らなかったのだ。
俳句の勉強も全く進まない。電車に乗っても、呆然としているか寝ているかのどちらか。まったく、困ったものである。

そんな中、昨日は現俳協の土曜句会に初めて参加してきた。
雑詠3句提出で6句選、席題2句の3句選。参加人数が20人以上だったので、けっこう大変だった。
結果は、以下のとおり。

啓蟄の正午のビルの人の群れ(3点)
春の闇いつか故郷へ帰る日よ(0点)
紅椿滲み滴る血のごとく(0点)

席題は「火」と「森」で1句ずつ。

導火線忍ばせている猫柳(10点)
潤む目で森を睨みぬ花粉症(1点)

全体的に低調。初参加ということで守勢に回ってしまったのと、提出句を練る時間がなかったのが敗因。
席題の「導火線」の句はかなり点がもらえたのだが、「上五と下五が体言止めだと三句切れになる」という指摘を頂いて、がっくり。「導火線を……」とすればいいと言われたものの、語調が悪くなるのが難点。もう少し措辞を練らねばなるまい。

その他、今日聞いた話をまとめておく。

  • まずは基本が大事である
    • 体言のみ、もしくは体言と用言ひとつで作るつもりで
    • 形容詞、副詞を使わずに同等の情感を表現する
  • だからこそ、季語のイメージが大事になる
    • だが、季語のイメージにとらわれ過ぎると、そこから出られなくなる
    • そこからさらにイメージを重ねること
  • 作句と選句は車の両輪である

いずれも重みのある言葉であった。
今まで手探りの無手勝流で作句してきたのだが、改めて「基本が大事」と言われると、身が引き締まる。今一度、自分の作句方法を見直してみたい。
そして、選句力。今日の句会では、概ね妥当な選句をすることができたような気がするが、まだまだ足りない。もっといい句をたくさん読んで、選句力を鍛えねばなるまい。選句力が上がれば、作句力も上がる。精進せねば。

近況など

このところ更新が滞っていたので、簡単に近況など。
とはいえ、ここが滞っているということは、俳句の勉強があまり進んでいないということだからして、あまりこれといって書くことはなかったりする。
このところ仕事が忙しいので、作句もあまりできていない。頭が疲れていると、なかなか句を練ろうという気にはなれないものだ。


通勤中に時間が取れるときは、春の季語の勉強をしている。
春の季語は「春の○」「春××」といったものが多いので、句のイメージが何となくマンネリ化しやすい。それに、何となくポジティブなイメージの言葉が多いので、ネガティブな雰囲気が得意な(笑)私としては、ちょっととっつきにくかったりもする。
そういうわけで、春の季語は今ひとつ苦手であるのだが、苦手だからといって敬遠していては作句もままならない。なので、何か使えそうな言葉はないものかと歳時記をめくってちまちまと調べているところである。
まあ、この辺りの問題は年を重ねていけば自ずとクリアされていくのだろうが……。


ああ、しまった。
そういえば、「おーいお茶新俳句大賞」の応募締め切りが目前ではないか。
ネット経由で応募するつもりなのでぎりぎりまで粘ることはできるのだが、応募できそうな句は未だに全くできていない。賞の性格上、あんましネガティブな句を出しても敬遠されるのだろうし(苦笑)、さてどうしたものか。残り時間はあと2日、どうにかしてひねり出さねば。

作業的兼題対策メモ

本当にメモ程度。
ここでは、兼題が季語ではない場合のみ扱う。兼題が季語である場合は多分別の方法論が必要。


1.兼題の言葉が体言なら用言、用言なら体言を合わせる。できるだけ詩的な組み合わせの方がよい。
2.さらに言葉を継いで、1.で出来た言葉のイメージを展開する。
3.2.のイメージに季語を合わせる。パターンは2通り。

  • 1.の言葉に季語を繋げてイメージをさらに拡張する(一物仕立て系)。
  • 2.のイメージに近い(つき過ぎ厳禁!)季語を探って、切った形で合わせる(取り合わせ系)。

4.適宜言葉を補足して全体のイメージを整える。


ものすごく乱暴な方法。多分、ワンパターンな句しか作れない。
俳句にはこんな作業的な手順なんてものは本来必要ないはずなので、これは邪道の部類だと思う。
だが、闇雲に苦吟するよりは手がかりがあるだけマシかもしれないので、ひとつの方法論として記録しておく。

乱れている

最近、やたらと受け狙いの句を作るようになってしまった。
たとえば、昨日mixiのコミュに投稿した句。

電柱の陰に怪盗チューリップ

作った時はいけると思ったのだが、改めて見るとこれはどうなのかと。面白いを超えて、もはや「変」な句である。どうも羽目をはずしすぎているようだ。
先日の句会に前後して、何かのタガが緩み始めているような気がする。はたして、これがいい意味での思考の解放につながっていくのか、あるいは破綻への第一歩なのか。できれば、今まで飛躍を生めなかった固い思考パターンが柔らかくなってきている過程なのだと信じたい。
ともあれ、今はできるだけ多くの句を作って、俳句に慣れるしかない。多作多捨である。

はじめての句会

「熱刀句乱舞」という句会に参加してきた。私にとっては、生まれて初めての句会である。
句会とはどういうものか、ある程度下調べはしていたのでシステムとして戸惑うことはなかったが、実際に参加して選句・鑑賞・批評をしたりされたりというのは、実にスリリングかつ面白いものであった。
参加者はみんなベテラン、一方で私は初心も初心。当然のことではあるが、自分はまだまだ未熟であることを思い知らされた。投句した作品の出来はもちろんだが、俳句を読む能力がまだまだ足りない。選句の段階ではピンとこなかった句が、他の方々の評でようやく意味がわかるということが多々あって、ひそかに恥じ入るばかりであった。
まあ、それでも収穫はあった。今回は兼題2句に雑詠2句の計4句を提出したのだが、とりあえず全部の句で点を頂くことができた。それがたとえ1点であっても、点が頂けるのはうれしいことである。初めてにしては悪くない結果かもしれない。
今回の句会では「こうでなければならない」という指導めいたものが全く無かったので、非常に自由な雰囲気で話し合うことができた。俳句世間には主宰ががっちりと思想を固めている句会もあるということだが、ぶっちゃけた話そういう縛りの厳しい場は苦手なので(笑)、良い句会に参加できてよかったと思っている。
とにかく、今日は勉強になった。これからも積極的に句会に参加して、自分の俳句を磨いていきたい。

意味ではなくイメージを

言葉の意味を追うのではなく、言葉によって作られるイメージを追う。
言葉の意味ではなく、イメージによって俳句を構成する。
しかも、足し算ではなく、掛け算で。


これを、頭で考えてるうちは、ダメなんだろうな。

ひとことだけ叫ぶ

うがぁっ!!
どうして私の句はこんなにつまらないんだぁっ!!


形や表現はどうにかなっても、面白味がない。意外性がない。発見がない。
こればかりは、一朝一夕にどうにかなるもんでもないんだろうなぁ。嗚呼、情けなや。